【東南アジア滞在通信】 の記事一覧

東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(18)

2013年05月18日

前回、ラオスに1月1日の“Happy New Year”は無いことを書いた。

それに関連して書くが、ラオスには12月24日の“Merry Christmas”も無い。1月1日が元旦であることや、クリスマスのイベントは、言うまでもなくキリスト教に基づいた欧米の慣わしである。
よって、仏教国であるラオスにはそのようなものは無いのだ。

しかし、神道や仏教の国である日本や、ラオスと同じ仏教国のタイには、1月1日の“Happy New Year”や12月24日の“Merry Christmas”がある。これはひとえに、日本やタイが時代の流れに沿って、欧米化していったことに他ならない。逆に言えば、ラオスはまだ時代が遅れている、欧米化されていないということである。

これは非常に面白いことであると私は思う。日本も昔はクリスマスなど無かったのだ。
よく考えると、クリスチャンでもない日本人が「メリークリスマス!」と言って騒いでいる姿は滑稽である。しかし、そうは言っても時代の流れには逆らえない。ラオスもいずれ日本やタイのように欧米化していくに違いない。だからこそ、まだ欧米化しきっていない今のラオスは貴重で面白いのである。

ラオスの女性は今でも、「シン」と呼ばれるラオス伝統の巻きスカートを、日常的に身に着けている。この「シン」を身に着けた女性の姿は、上品でとても素敵である。日本では通常誰も着物を着なくなってしまったが、ラオスではいまだに伝統の衣類を身に着けているのである。
これもまた、ラオスがまだ欧米化されつくしていないことの一つの表れである。

さて、12月24日のクリスマス・イブの日、私は待ってましたとばかりに、外国人観光客エリアにあるデパートまで、サンタクロースのお面を買いに行った。そのお面をかぶり、近所の子ども達に駄菓子を配ろうと思い付いたのだ。私は駄菓子を買い込み、喜ぶ姿を思い浮かべて子ども達の所へ向かった。しかし、私の思惑はいとも簡単に崩壊した。
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サンタ面をつけた私の姿を見るなり、子ども達は「キャー!」という悲鳴を上げて走って逃げていくではないか。その表情には喜ぶどころか恐怖の色さえ映っている。私はそれを走って追いかけ、『グリコ・カプリコ』を見せて必死でアピールするのだが、全く分かってもらえない。

私が「メリィ・・」と言って近付こうとしようものなら、すぐに子ども達は猛ダッシュで悲鳴を上げて逃げていく。もはや、金棒の代わりに『グリコ・カプリコ』を握りしめたサンタ鬼が子どもを追い回すただの鬼ごっこである。

私はこの企画に無理があったことに気付き、サンタ面を取って「キンカオノム!(お菓子を食べよう!)」と言うと、ようやく子ども達が寄ってきてくれた。そう、ラオスではサンタクロースは赤い頭巾を被り、白いひげを生やした、「ただの怖いおじさん」でしかなかったのである。

この日の晩、私は行きつけの飲み屋に行き、性懲りも無くサンタ面を被ってビールを飲んでいたが、誰一人「メリークリスマス」と声をかけてくる人はいなかった。おそらく、ただのお馬鹿さんだと思われていたに違いない。
しかし、私はこのクリスマスとは全く無縁の、何でもないただの12月24日がとても新鮮で面白く感じた。日本では、特に若いカップル達の間では特別な日である。このクリスマスが無いことを愉快に感じるのは、私に彼女がいないからであろうか?
いやそんなことではない。クリスマスがまだ常識化されていないということが、多様な文化の存在を鮮やかに認識させてくれたからである。グローバル化の名の下に、多様な文化を持った国々が個性を失ってしまっては、面白くないではないか。近い将来、ラオスでもクリスマスが常識化されるであろう。私はそれが少し残念な気がするのである。
posted by miyazawa at 15:32 | 東南アジア滞在通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(17)

2013年02月15日

 ラオスのお正月は1月ではない。12月31日から1月1日にかけて、世界中の主な都市で“HAPPY NEW YEAR”の大騒ぎをしている時、ラオスは何事もなく静まり返っている。ラオスのお正月は仏暦により、4月の中旬に3日間に渡って行われるのだ。それが、「ピーマイ・ラーオ(ラオス正月)」である。
ピーマイ・ラーオは先に述べたように、3日間に渡って行われる。最初の1日が大晦日、2日目が年と年をつなぐ日、そして、3日目が元旦ということらしい。この「年と年をつなぐ日」が存在する点が、いかにも仏教的で私は好きである。
ピーマイ・ラーオの間、ラオスの人々は午前中に近くの寺院にお参りをする。その際、美しい花びらをたくさん浮かべた水を、金色の鉢に入れて持って行く。それを寺院の境内にある、これまた黄金色の仏像にかけるのである。そして、花束を供え、蝋燭や線香を立て、頭を下げて合掌するのだ。
水に濡れた黄金色の仏像には至る所に花びらが張り付いて、いつもとは違う華やかな美しさがあった。そして、その姿はどこか我々人間に対する優しい親しみを感じさせた。この水に濡れた黄金色の仏像が、後に述べる大騒ぎを暗示していることに、その時は私はまだ気付いていなかった。
家に戻ると、家族で最も年長者であるおじいちゃん、おばあちゃんの周りに皆が集まって、手首に白い糸を束ねた紐を巻いてもらう儀式のようなものがあった。おじいちゃんは神妙な顔をして、何やら呪文のように祝福の言葉を唱え、私の手首にも白い紐を巻いてくれた。
さて、ここまで書いた内容を読むと、ピーマイ・ラーオは仏教的な物静かなお正月のように感じらると思う。しかし、その実態は全く違う。このピーマイ・ラーオの3日間、ラオスはいつもの穏やかさは何処へやら、お昼ごろからは一転して街中、村中が大騒ぎとなるのだ。
ピーマイ・ラーオの時期、ラオスは1年で最も暑い。その気温は40度に達することもある程だ。そのためか、この3日間は街や村全体が無礼講の「大水かけ祭り」の状態となる。実はこれこそがピーマイラーオの真骨頂なのである。
その様子は「水かけ無法地帯」と言ってよい。道を歩けばたちまちホースやバケツ、水鉄砲などで水を浴びせられ、全身びしょ濡れ状態にされてしまう。誰かれ構わず問答無用で水をかけ合うのだ。そして、皆がひたすらビールを飲みまくり(とにかく永遠にビールを飲み続ける)、大音量で音楽を流して踊りまくり、騒ぎ続けるのである。
その「水かけ無法地帯」状態は日本では到底ありえないものである。例えば、国道沿いの家々からは容赦なく通りかかる車やバイク、トゥクトゥクに放水攻撃が行われる。ホースでの放水、バケツの水をぶっかける、水の入ったビニール袋を投げつけるなど滅茶苦茶である。晴天にも関わらず、路線バスでさえ何とワイパーをつけて走っている。そうしないと本当に前が見えないのだ。悲惨なのはバイクやトゥクトゥクで、運転手から乗客まで容赦なくずぶ濡れにされる。
「こんな状態で揉め事は起こらないのか?さぞかし警察はしっかり警備しているに違いない!」と思うであろう。しかし、何か揉め事が起こっている様子も無いし、街や村の中に警察官の姿は全くと言ってよいほど見かけない。私が思うに警察官達もどこかで飲んでいるに違いない。思わず、「これは一体何なんだ!?」と思ってしまうが、逆に何とものどかで平和な社会ではないか。
しかしまあ、何とも楽しいことこの上ないお正月である。照りつける太陽の下でのあのバカ騒ぎの何ともいえない連帯感。この世の全てから解放されたような爽快感は一体何だったのだろう。私は全身ずぶ濡れ状態で、何処からともなく差し出されるビアラーオを飲み続け、ラオスの人々とともに踊り、騒ぎ、水をかけ合った、あの灼熱のお正月を忘れることが出来ない。


posted by miyazawa at 15:33 | 東南アジア滞在通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(16)

2013年02月15日

 ラオスの人々は実に様々なモノを自分で作る。例えば、ちょっとしたテーブルや椅子などの家具を、その辺の木を材料にして作ってしまう。また、田んぼの傍の休憩小屋なども自分で作る。そして、器用な人は自分の家族が住む家さえも、自分で建ててしまうのだ。
このような具合であるから、日常生活に必要なあらゆるモノが手作りであることが多い。私はこの様々な手作りのモノの中に、多くの知恵を発見し、工夫することの大切さを学んだ。ちょっと工夫をすれば、わざわざお金を出して買ったりプロに頼まなくても、自分で何とか出来るものなのである。
我々日本人は、お金を出して買ったりプロに頼むことが当たり前になっていて、自分で工夫することを忘れてしまっているのではないだろうか。ひと昔前の日本にはこのような工夫が あったが、現在はそれが失われてしまったように思う。
この「自分で作る」ことと「自分で工夫する」ことこそが、今こそ我々日本人、特に今後の日本を担う若者たちにとって必要なことであると私は思う。
続いて、ラオスの人々はモノを直して使うことを当たり前に行っている。彼らは何か自分の家のモノが壊れると、まず自分で修理しようとする。それは、自動車やバイク、テレビなどの電化製品であっても例外ではない。自分で修理出来ないと分かって初めて、プロの修理屋に頼むのである。彼らにとって新しく買い換えるということは、最終手段であって基本的にはあまり考えない。
ある日、私の携帯電話が壊れてしまった。それを見た近所の子どもが、「僕が直すよ!」と言ってなぜか包丁を持ってきた。そして、その包丁で携帯を直そうと必死に何かやっていたが、しばらくして「やっぱりダメだね」と言った。そして、彼は「修理屋さんに連れていってあげる!」と言って、私を市場にある修理屋に案内してくれた。
そこには小さな木製の机の上で、色々なモノを修理しているおじさんがいた。私は「こんな所で直せるはずが無い」と思った。しかし、そのおじさんは私の携帯をバラバラに分解し、何と直してしまったのだ。そのおじさんが使用していた道具は全て原始的な物で、歯ブラシまで使っていたというのにである。これには私も「携帯電話なんてその程度のものだったのか!?」と驚いてしまった。
私はラオスの人々の「直して使う」ということに影響を受け、大したことではないが、自分の衣類の繕いぐらいは自分でするようになった。そんな時、「そういえば、子どもの頃に穴の開いた靴下を縫っていたような・・・」と昔の記憶が蘇ってきて、妙に懐かしい気持ちになった。そして、直せばモノはいくらでも長持ちするという当たり前のことを思い出した。
最近の日本では、モノが壊れたらすぐに新しく買い換えることが当たり前になってしまっている。それは、社会の仕組みがそうなってしまったことも大きな原因であるが、私はそれだけではないと思う。社会の発展や文化の変化に伴って、人々の物の考え方が大きく変わってしまったのだ。要するに、物の考え方が「使い捨て」の発想になってしまったのである。 
私はこの「使い捨て」の発想に、とても冷たさや寂しさを感じてしまう。逆に、大事に「直して使う」発想にはぬくもりや優しさを感じる。それは、モノを大事にすることは、人を大事にすることと同じだからだと私は思う。全てのモノを大事にすること、壊れても直すことが出来るのである。こんなことを考えさせてくれたラオスの人々に、私は感謝している。
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東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(15)

2013年02月15日

 私がラオスで住んでいた村は、首都ビエンチャンの中心部からさほど離れていない所にあった。そのような立地にも関わらず、村の周辺は自然に溢れ、とてものどかな環境であった。それは、ラオスが他の東南アジア諸国と比べ、極端に開発が進んでいない事の表れである。そして、そののどかな村の中には数多くの動物たちが人々と共に暮らしていた。
まず目に付いたのが、主に茶色い色をした牛たちであった。彼らは村の中の牧草地で草を食べたり、ごろごろしたりして暮らしていた。村の中の路地にもよく出てきて、道端の草を食べたりもする。私はラオスに行って初めて分かったのだが、牛というのは実はとても人なつっこく、可愛い動物である。牛の頭や体を撫でてやると、大きな体をでーんと倒して仰向けに寝転がったりする。そして、お腹を見せて息を荒げて甘えてくることさえあった。私は「牛ってこんな生き物だったのか」とカルチャーショックを受けるとともに、何だかとても嬉しくなった。
さらに、その村には普通の牛だけでなく水牛もいた。水牛は主に農作業を手伝う家畜として働いていた。農夫は水牛に大きな農具を引かせて、田畑を耕すのだ。それだけに、灰色をした水牛の体は、普通の牛と比べてはるかに骨太で巨大である。そして、その頭には2本の巨大な角があり、ちょっと恐いくらいに立派である。この水牛は見た目は恐いが、性格はとてもおとなしい。近くにいると、突っ込んで来るのではないかという恐怖を感じるが、そのようなことはまず無い。
村の路地にはこの牛たちの他に、ヤギもいるし、アヒルやニワトリなどもうろちょろしていた。私はこの中でアヒルが好きであった。アヒルとは見れば見るほど可愛い鳥である。クチバシや足ヒレの形といい、丸っこいお尻の形といい、他の鳥には無い愛嬌がある。そして、その動作がまたとても可愛い。あの平べったいクチバシを素早く動かす水の飲み方、足ヒレをペタペタさせながら、丸っこいお尻を左右に振る歩き方、これが何とも愛らしいのだ。
そして、この村の中ではもちろん日本でもお馴染みの犬や猫も人々と共に暮らしていた。現代の日本では、犬や猫は完全に可愛がるためのペットと化している。しかし、このラオスの村では、昔ながらに犬や猫は働くために存在しているようであった。犬は泥棒除けの番犬として、猫はネズミを捕まえさせるために飼われているのだ。
ある日、私の友人の飼い犬が草むらに向かって必死で吠えていた。そこで、ピンときた友人が、長い棒で草むらの中を調べると、何とその草むらには毒蛇が隠れていたのだ。まさに、我々は犬のお陰で、危険から逃れられたのである。私はこの体験から、昔ながらの人間と動物の関わり方、人間と動物が共生することの素晴らしさを実感した。
さて、私がラオスで住んでいた宿舎の中には小さな池があった。その池の端には吹きさらしの小さな小屋があり、私はそこでのんびり過ごすのが好きであった。そこにいると、日本では見たことも無いトカゲや昆虫が、ひょっこり現れてはまた姿を消していく。それは、私にとって新鮮な刺激を与えてくれる楽しみであった。そして、それは楽しみであるとともに、これらの小動物たちも我々人間と共にあることを私に教えてくれた。

このように、ラオスという自然溢れる国に行くと、様々な動物たちとのふれあいがある。そして、上手く言えないが、そのふれあいは人間にとってとても大切な何かを教えてくれるように思う。だから、ぜひラオスに行った際は、多くの動物たちとふれあって頂きたいものである。

 
posted by miyazawa at 15:30 | 東南アジア滞在通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(8)

2012年11月02日

ラオスの通貨はラオスキープ(LAK)である。

一般的にはキープ(kip)と呼ばれる。現在、ラオスで流通しているキープを金額の低いものから挙げると、5百キープ、千キープ、2千キープ、5千キープ、1万キープ、2万キープ、5万キープ、10万キープの8種類がある。

 これを日本円の価値に換算する方法は非常に簡単で、ゼロを2つ抜けばよいだけだ。つまり、500キープは約5円、1,000キープは約10円、2,000キープは約20円、5,000キープは約50円、10,000キープは約100円、20,000キープは約200円、50,000キープは約500円、100,000キープは約1,000円に相当する。そして、これらは全て紙幣である。

よって、ラオスに長期滞在する場合、財布はなるべく量の入る「札入れ」を用意しておくと便利がよい。
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 なぜ私がなるべく量の入る札入れをすすめるのかは、両替所に行けばすぐに分かる。2012年10月現在の為替レートでは、1万円を両替すると約100万キープになる。
そして、通常5万キープ札20枚に交換される。つまり、1枚の紙幣が20枚になって返ってくるのだ。
 当然、3万円両替すると60枚になって返ってくるし、5万円両替するとなんと100枚になって返ってくる。要するに、財布の中はすぐに札束でいっぱいになってしまうのである。

しかも、そのうちの5万キープ札一枚の価値は、ラオスでは非常に高いのだ。

つまり、簡単にちょっとした「お金持ち」になることができる。1万円つまり100万キープはラオスではかなりの大金だ。100万キープではなく100万円持っているような錯覚さえ覚える。これが5万円、500万キープともなればまさに「無敵状態」となる。

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ところで、財布の中が札束でいっぱいの状態というのは実に気分がよいものである。
しかも、日本ではあり得ない「お金持ち状態」である。

ラオス語で言えば「サバーイ(気持ちがよい)」ことこの上ない。
私はラオスに来て生まれて初めてこの経験をした。
このお金持ち状態からくる心の余裕、「金持ちケンカせずとはこのことか!」と思ってしまった程である。このような気分もラオスに来ることがなければおそらく一生味わえなかったに違いない。
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さて、ラオスの物価だが言うまでもなく非常に安い。一般的な食堂で約10,000キープ(約100円)で一人前を食べることができる。私が住んでいた宿舎の隣の食堂ではカオピャックセンという、うどんに近いとても美味しい料理が並盛り6,000キープ(約60円)、大盛り8,000キープ(約80円)であった。

500mlのペプシコーラは4,000キープ(約40円)で買える。果物類はだいたい1kgで5,000キープ(50円)の安さである。


そして、何といっても日本と大きく物価が異なるのはビールやタバコだ。ビアラーオという、ラオスが世界に誇るビールは大瓶が1本8,000キープ(約80円)である。しかも、このビールは世界一とも思えるほど美味しい。

また、ラオラーオというラオス名産の焼酎も大瓶が1本7,000キープ(約70円)の安さだ。これもまた美味である。つまり、ラオスは酒飲みの天国といっても過言ではない。
私は基本的に酒を飲まないが、ラオスに住んでいた間だけはビールを結構飲んでいた。安いだけではなく、ビアラーオのあまりの美味しさにはまってしまったのである。


ラオス製のタバコは1箱4,000キープ(約40円)〜8,000キープ(約80円)と各種ある。いずれにしても日本のタバコの値段とは比較にならない安さだ。日本では440円もするマルボロも、ラオスでは12,000キープ(約120円)で買うことができる。このように一つ一つ例を挙げていけばきりがないが、ラオスの物価はとにかく安いのだ。

日本では常にワーキングプア状態の私だったが、ラオスに滞在したおかげで束の間のプチお金持ち生活を味わうことができた。その間は、その意味でも安らぎの日々を送れたと思う。何だかんだいってもお金に余裕が無ければ、心の安らぎなどあり得ない。

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その意味で、ラオスでの生活は我々日本人にとって安らぎをもたらすものと思う。またいつか、1本8,000キープ(約80円)のビアラーオを飲みながら、1箱4,000キープ(約40円)のラオスタバコをふかしてみたいものだ。
posted by miyazawa at 13:13 | 東南アジア滞在通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(1)

2012年09月03日

タイ王国の首都バンコクは東京と変わらない印象を受けるほどの大都会である。立ち並ぶ高層ビル群、整備された道路や鉄道、そこに溢れかえる車や人の群れ。
そこから感じられる活気は東京以上と言っても過言ではない。東南アジアの中心都市バンコクはそのくらい発展しているのだ。

 2009年12月、そんな都会の喧騒から抜け出すべく、私はフアラムポーン駅(バンコク中央駅)へと向かった。

それは、都会の喧騒とは無縁の「安らぎの国」への第一歩であった。

 フアラムポーン駅は日本でいえば東京駅といったところである。この駅はタイの中央と地方を結ぶ駅で、タイの地方出身者の多くがここから出入りする。

ここで私はタイ東北部国境の街ノンカイまでの座席チケットを380バーツ(約950円)で購入した。もっと安い座席もあったが空席の中ではこれが一番安かった。
 2等座席、エアコン付きであった。タイを南北に縦断する移動距離を考えれば、この値段でも日本人の感覚では安い。高速バスで行けば350バーツ(約875円)でさらに安いが列車の旅は楽しいものだ。380バーツで「世界の車窓から」のような気分に浸ることが出来るのである。


 プラットホームには10両くらいはある古びた夜行列車が停車していた。古びてはいるが中はそれなりにきれいで、トイレはもちろん寝台車や食堂車もついている。

座席を確保すると私は面白いことに気が付いた。
何と座席は日本の新幹線の中古品をそのまま使っているではないか。
シート裏には「博多−東京」などと書いてあり思わず笑ってしまった。

しばらくすると列車が動き出し、ノンカイまでの約12時間の列車の旅が始まった。

座席は旧式の新幹線のものだけに座り心地はなかなか良い。
また、車内の温度もエアコンがきいているので全く暑くなく、逆に寒いくらいである。
とりあえず寝台車でなくとも座席で十分眠ることが出来る快適な環境であった。

また、車内では心温まる思い出も出来た。私が少し咳をしたときのことである。
隣の座席のタイ人女性が風邪薬をそっと差し出して微笑んでくれたのだ。微笑みの国、タイ人の素朴な優しさに触れ私は嬉しくなった。

 幸せな気分でいつの間にか眠ってしまい、起きたときには夜明け前だった。
私はふと日の出を見たいと思い、二度寝しないように連結部分のデッキに出てしばし待った。

すると、私の眼前にこれまでに見たこともない光景が現れた。

白い朝もやの層の上に緑の地平が浮かび、原色オレンジ色の太陽が昇ったのだ。
それは何とも幻想的な情景であった。空間全てが光に包まれ、それはまるで極楽浄土、もしくは仏の出現のような(もちろん見たことは無いが)美しさであった。

この地域の仏教信仰はこの自然から来ているのではないかとさえ思ってしまった。

感動の余韻に浸っている間に列車はすでに終点のノンカイへ近づいていた。

車窓から見える景色はすでに大都会バンコクとは完全にかけ離れている。
草原や田んぼが広がり水牛が草を食んだり水浴びをしている。
おそらくこのとき私は生まれて初めて水牛を見たに違いない。
ほどなく列車は終点ノンカイ駅に到着した。これが当たり前らしいが、予定より2時間以上遅れての到着であった。

ノンカイ駅に着くと土地ののどかさはどこへやら一気に慌しくなった。

これまで気にしていなかった「バックパッカー」と呼ばれる人々が大勢現れたからである。
バックパッカーとは世界中の国々を少ない費用で長期間旅行して回る人々のことである。
大きなバックパック(リュックサック)を背負っていることからそう呼ばれる。
バックパッカーの大半は白人の欧米人で、若者だけでなく中高年の方もいる。
東南アジアは少ない旅費で旅が出来るのでバックパッカーには人気の地域なのだ。

そのためかノンカイ駅は一時的にバックパッカーでごった返しの状態となった。
ノンカイ駅のイミグレーションでタイの出国手続きを終わらせるといよいよ目的地が近い。
もう目と鼻の先、眼前に広がるメコン川の向こう側にその国はある。

そう、冒頭に書いた都会の喧騒とは無縁の「安らぎの国」である。
その国の名は「ラオス」という。この国の存在を知っている日本人はあまりいないのではないか。
それだけ知名度の低い秘境ともいえる国なのだ。

 2009年12月、こうして私はメコン川にかかる「タイ‐ラオス友好橋(クワミッタパープ)」を渡り、ラオスに入国した。
そして、2012年8月までの約2年8ヶ月間この国に滞在した。
その間に私はすっかりラオスが好きになった。
ラオス語も少しだけ話せるようになって、親しい友人・知人もたくさん出来た。
今では私の第二の故郷だと思っている程である。

東南アジアの滞在通信としてまずはラオスについて書きたい。
ラオスはどのような国なのか、なぜラオスは「安らぎの国」なのか。
ラオスを多くの人に少しでも知ってもらいたいのだ。

そして、多くの人にラオスを訪れて欲しいと思っている。
posted by miyazawa at 13:57 | 東南アジア滞在通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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