【ラオス通信】 の記事一覧

東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(6)

2012年10月10日

ラオスの気候は熱帯モンスーン気候に属する。
東南アジアというと熱帯のイメージが強く、ラオスも一年中が夏のように暑い国であろうと私は思っていた。
しかし、実際にラオスに住んでみると、そうではないことが分かった。3月〜5月が暑季、6月〜9月が雨季、10月〜2月が乾季と大きく3つに季節が分かれているのだ。
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3月〜5月の暑季は非常に暑い。日本の夏以上の猛暑でまさに熱帯の状態となる。
部屋の中に置いておいたコーラが「ホット」になってしまった事もあったほどだ。
ただ、暑い夏が好きな人には非常に良い季節だと思う。猛暑とはいえ毎日が晴天続きで気分が良い。
ちなみに、ラオス最大のイベント「ピーマイ・ラーオ(ラオス正月)」はこの時期にある。


6月〜9月の雨季に入ると暑さもおさまり、とたんに過ごしやすくなる。
雨季といってもスコールのような豪雨にたびたび見舞われるようなことはない。
基本的に雨はしとしと降る感じで、しかも毎日降る訳ではなく曇りの日も多いし晴れることもある。

ただ、路地が舗装されていないため、大きな水たまりが沢山できて路地の通行が困難になるのが少しやっかいである。そのため、この時期には村の人々が共同で水たまりを砂や赤土で埋める作業をする。こういう時にもラオスの人々が助け合って生活している様子を垣間見ることができる。

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さて、10月〜2月の乾季であるが、この時期がラオスで最も気分良く過ごせる季節である。
日本の季節でいうと春や秋のような気候で、そのうえ雨も降らなくなる。
ほとんど毎日晴れているといってよいだろう。ラオスの乾季で面白い点がある。
夜中から朝にかけてものすごく冷え込むのだ。熱帯の東南アジアにも関わらず、毛布が無ければ寒くて眠れない程である。この時期はラオスの人々は日中でも厚手のコートやジャンパーを着ている。
我々日本人は日中になるとTシャツ一枚で大丈夫だが、寒さに慣れていないラオス人は寒く感じるのだろう。


このように、ラオスにはしっかりと季節が存在する。そして、その季節ごとの楽しみや味わいがあるのだ。
例えば、前にも記したが暑季には「ピーマイ・ラーオ(ラオス正月)」があり、猛暑を吹き飛ばす「大水かけ祭り」がある。この祭りについては後に詳しく書きたいが、とにかく愉快で面白い。
日本ではとても考えられないお祭りである。
また、この時期には休みの日には滝や川へ「水あそび」に行く。
家族や友達が連れだってピクニックがてら滝や川で泳いだり遊んだりするのだ。
この遊びをする滝や川は地元の人の遊園地のようなものになっており安全面でも心配がない。

ぜひお勧めしたい遊び場である。


また、乾季と雨季の「日の出」の違いは非常に味わい深いものがある。
乾季の日の出は空一面が黄色く光り輝き、白い朝もやの地平からオレンジ色の太陽が爽やかに昇る。
一方、雨季の日の出は空一面が薄紫色にくぐもり、緑の地平からこれまたオレンジ色の太陽がぼんやりと出現する。非常に対照的な日の出ではあるが、どちらも日本では見たことがない日の出である。
とくに雨季の日の出は薄紫色の空に輪郭がくっきり分かる濃いオレンジ色の太陽が浮かぶ。
その光景はとても日の出とは思えない何とも言えない光景である。


ところで、私は日本で忙しく過ごしていた頃、季節の移り変わりや日々の微妙な天候や気候の変化などを大して気にかけていなかったと思う。
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いや、そんな素朴な気候の変化や自然の美しさを感じる感性すら欠落していた。

私はラオスで暮らすことでそんな当たり前で大切な心を少しは取り戻すことが出来たように思う。
本来、人間は自然の中で生かされ存在している。自然の美しさに感動し、自然に対する感謝の念を持つ。
意外とそんな気持ちを忘れている日本人は多いのではないだろうか。

もしそうであるとしたら、我々日本人はいま一度その心を取り戻す必要があると思う。
posted by miyazawa at 13:25 | ラオス通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(5)

2012年10月10日

経済的にラオスは世界最貧国の一つであるという。
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確かに地方の山岳地帯に住む人々はその日の食べ物にも困っているのかもしれない。
しかし、首都ビエンチャンに暮らす人々を見ているとそのような危機感は全くと言ってよいほど感じられない。確かに裕福とは言えないが、食べ物に困っている様子はなく、実にのん気な生活をしているように見える。

私が滞在した宿舎の近所に仕事もせず、毎日家でテレビを観ながらゴロゴロして生活しているおじさんがいた。それでも彼はそれなりに楽しそうに暮らしていた。
田んぼでは米がとれる、池では魚がとれる、庭には野菜が生えている。
それによって彼の生活は成り立っていた。
彼以外にも多くのラオス人は現金収入はほとんど無くとも自給自足的な生活スタイルを確立しているように見て取れた。

メコン川流域の肥沃な土地がもたらす自然の恩恵を受け、自然と共生しながらラオスの人々は暮らしているのだ。
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また、ラオスの人々が貧しくとも最低限の生活を維持できている要因に欠かせないのが家族の助け合いである。親兄弟、親戚、一族郎党が一つの共同体を形成しており、互いに助け合って暮らしている。

お金を稼げる人間がお金に困っている家族を援助する。
この家族の絆の強さは核家族化が進み、個人個人が分離しつつある日本人には理解が及ばないところだと思う。私はラオス人のある中学校教師に「日本人は利己主義的だと思う」と言われたことがあった。

利己主義的とは思わないが、確かに日本人は個人主義的になり過ぎているのではないかと思う。今一度、我々日本人も家族の絆や助け合いの精神を見直す必要があるのではないだろうか。

もう一つ、ラオスは社会主義の国である。多くの日本人は社会主義というとあまり良い印象を持たない。

確かに、社会主義という形態が無理のあるものであることが分かっている現在、それを肯定することは出来ない。しかし、この社会主義という形態であるがために、こんなにも人々がのんびりと暮らせているという側面もあると私は思う。
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ところで、社会主義国家というと何かこわい所のような印象を抱く人が多いのではないかと思う。
しかし、ラオスに実際に行ってみると、それは過剰な思い込みであると分かる。
他の社会主義国は知らないが、少なくともラオスは全くこわい所ではない。

むしろ、フィリピンやタイなどに比べるとはるかに安全で平和な国である。確かに、軍や警察は絶対的な権力を持っているが、意外なほど軍人や警察官はフレンドリーな対応をしてくれる。

日本の警察官のように変に威張りもしないし、堅苦しいこともない。

逆にフレンドリー過ぎて、もう少しきりっとして欲しいと思うくらいである。
ラオスは軍や警察が取り仕切っているがために、マフィアなども今の時点では存在しないらしい。

そのために、ラオスは犯罪が極端に少ないのである。そういう点でもラオスは非常に安心して暮らせる国なのである。
posted by miyazawa at 13:21 | ラオス通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(4)

2012年10月10日

「昔は良かった」という言葉があるが、この言葉は過去の時代への憧憬を意味する。
意外と多くの人が、昔ののんびりとした時代にさかのぼってみたいという願望を持っているのではないだろうか。
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そんな願望を簡単にかなえる方法がある。
それはラオスを訪れることだ。   


私はつい最近タイのバンコクに来たが、これは逆に未来へタイムスリップした感覚であった。バンコクのスーパーで久しぶりにバーコードのついた弁当を見た時は何か異様な感じがした。
そのようなものはラオスには無い。

ラオスでも一部の外国人宿泊エリアには最近コンビニもできたが、首都のビエンチャンでさえ一般のラオス人は「市場」で買い物をする。
つまり、一般的にはラオスにはスーパーもコンビニも無いと考えてよい。
買い物といえば「タラート(市場)」なのである。
そして、市場にある商品にはバーコードはもちろん値札すらついていない。
いちいち「タオダイ?(いくら?)」といって値段を聞き、「ルットハイネー!(まけて!)」などと交渉するのである。この買い物のシステムを見ても時代の違いが分かると思う。

道を歩けばリアルに天秤棒を担いだ売り子とすれ違う。
リヤカーに野菜や果物を積んで量り売りをするおばさんがいる。
それらの様子はもう日本では見ることの出来ない過去の光景そのものである。
ビエンチャン市内で日本料理店を営んでいる老人が「ラオスは電化製品とコンピューターを除けば江戸時代なんですよ」と言っていた。

さすがにそれは言い過ぎだと思うが、ラオスには過去にタイムスリップしたような感覚を味わえる面白さがあることは間違いない。


例えば、ラオスの一般的な家庭ではいまだに調理は七輪を使って行われる。
主食のもち米を蒸すにしても、魚を焼くにしても七輪を使うのだ。
また、多くの家庭には手動の機織り機や糸車がある。
主婦たちはそれを使って「シン」と呼ばれるラオス伝統の巻きスカートの生地を織る内職をしている。
農夫は水牛を使って田を耕し、田植えや稲刈りも全て手作業で行われる。
家族総出で力を合わせて田植えや稲刈りをしている様子は心和ませるものがある。
子どもたちは裸足で駆け回り無邪気に凧揚げなどして遊んでいる。

これらの光景は日本ではもうほとんど見られないものばかりだと思う。
そして、これらの昔あったはずの光景を見ると何とも幸せな気持ちになるのは何故だろうか。

それは、やはり我々日本人が失った古き良き日本の姿がそこに投影されているからだと思う。
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我々日本人は進みすぎた文明の中で疲れきっているのではないか。だから、昔ながらの生活を送っているラオスの人々の姿を見ると心に安らぎを感じるのだと思う。
posted by miyazawa at 13:19 | ラオス通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(3)

2012年10月10日

ラオスでの生活が始まるとともに、ラオスの人々との交流も始まった。道を歩いていると彼らは必ず「シパイサイ?(どこに行くの?)」と話しかけてくる。

これが夕方になると「パイサイマー?(どこに行ってきたの?)」となる。

この「どこに行くの?」と「どこに行ってきたの?」という2つの質問はラオス人の挨拶代わりの言葉である。


ラオスの人々は近所の人と出会うとよく挨拶をしたり話をしたりする。この近所の人と日常的に挨拶や話をするという行為が日本ではすでに失われているのではないか。

私はこの近所の人たちとのちょっとした会話が妙に新鮮だった。
そして、食事時になると必ずと言ってよいほど「キンカオ!(ごはんを食べよう!)」と道端の民家から声をかけられる。

もしくは「キンビア!(ビールを飲もう!)」というお声がかかる。
通りすがりにこのような声をかけられることは日本ではまず考えられない。
そんなラオスの人々の優しいお誘いの言葉によって私はあっという間にラオスでの生活に溶け込んでいった。
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私が親しくなったラオス人はほとんどがあまりお金を持っていない庶民であった。

しかし、彼らは幾度となく私を食卓に招いてくれた。
その内容は主食であるもち米に焼き魚、野菜のスープといった質素なものであったが、私には心から嬉しく有難かった。こうして挨拶を知り、一緒にご飯を食べたりしているうちに、特に勉強することもなく自然にラオス語も覚えていった。

さて、ここで少しラオス語の話をしたい。ラオスの言語はラオ語である。
どの国の言語を学ぶにしても最初に覚えるのは「こんにちは」に相当する挨拶の言葉だ。
私はラオ語の「こんにちは」がとても気に入った。それは「サバイディー」という言葉である。
朝昼晩使えるこの言葉は「元気です」とか「気持ちがよい」という意味もある。
よって、この挨拶の言葉を毎日交わしていると自然と元気が出たり、良い気分になるのだ。
言葉は力を持つというが、まさにそれを実感させる言葉である。


この「サバイディー」に関連して、ラオス人はよく「サバーイ」という言葉を使う。
ラオス語で「サバーイ」とは「気持ちがよい」の意味である。ラオス人にとって「サバーイ」ことは非常に重要なことらしい。この「サバーイ」が日本人には足りないのではないかと私は思う。
日本での生活に疲れた人はぜひラオスを訪れて、この「サバーイ」感じを体感して頂きたいものである。
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もう一つ、ラオス人がよく使う言葉で「ボーペンニャン」という言葉がある。
「問題ない」とか「大丈夫」という意味の言葉だが、とにかくよく使う。
ラオスの人々は何でも全てこの「ボーペンニャン」で済ましてしまうところがある。
「さすがにそれは問題では?」と思うようなことでも結局は「ボーペンニャン」という結論に至るのだ。
この何でもかんでも「ボーペンニャン」というとことん楽観的な物の考え方を悩みがちな我々日本人は少し取り入れたほうが良いのかもしれない。


ここで紹介した「サバイディー」「サバーイ」「ボーペンニャン」というラオス人がよく使う言葉からしても、ラオス人の気風を感じ取れるのではないかと思う。
posted by miyazawa at 13:16 | ラオス通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(2)

2012年10月10日

「ラオス」(ラオス人民民主共和国)は東南アジア、インドシナ半島の内陸部に位置する国である。

 周辺を中国、ベトナム、タイ、カンボジア、ミャンマーの5カ国に囲まれ、海に面しておらず、その内陸部にひっそりと存在する様子はさながら忍者の隠れ里のようである。

実際、ラオスの国土の約70%は山岳地帯や高原であることからも、このイメージはあながち間違いではない。さらに、ラオスの国土面積は23万6千8百平方キロメートルで、おおよそ日本の本州と同じ大きさである。  

それに対して総人口は約612万人、東京都の約半数ほどの人口しかない。これを見ても、この国がいかに人口が少ないかが分かる。広大な自然の中で少数の人々が暮らす、まさに秘境のような国なのだ。


この国に私が訪れ、最初に抱いた印象は「何もない所」であった。
「タイ−ラオス有効橋(クワミッタパープ)」を渡り、ラオスに入ると本当に何もない。
目の前には日本のODAによって作られたという国道13号線が一本通っているのみである。
あまりの何もなさに私はしばし呆然としたが、気を取り直してトゥクトゥクというバイクに荷台を取り付けた形の乗り物に乗り込み、街の方向へと向かった。

路線バス以外ではこのトゥクトゥクがラオスでの唯一の交通手段である。

国境からトゥクトゥクで約20分程の所に「キーナイモー」という名の地域がある。
そこが私が寄宿する宿舎がある地域であった。
キーナイモーという名前はこの地域に伝わる昔話に由来する。
かつてこの地域には巨大なコオロギが住みついており、田畑を荒らし、住民たちを困らせていた。
そこに一人の男が現れ、この巨大コオロギを退治したのだという。
あるラオスの老人がこの話を私に教えてくれた。
確かに、この地域にある寺院の境内には巨大コオロギと男が戦っている像が安置してあった。

そのキーナイモーでトゥクトゥクを降り、私は宿舎へと続く路地へ入った。
宿舎は国道13号線から500メートルほど路地を入った所にある。路地は舗装されておらず、土がむき出しになっている。キーナイモーはラオスの首都ビエンチャンの中心部からは車で15分程度の所にある。それでも、国道を外れた路地は全て土がむき出しなのだ。


その路地を進むとまずアヒルの行列が道を横切った。道端では牛やヤギが草を食べている。
私はまずこの村の動物の多さに驚いた。歩きながらふと横を見ると巨大な水牛が木につながれていたりもする。そして、道の両側には木々が茂り、粗末な作りの民家が並んでいる。
その裏には緑色の田園が広がっていた。木々に囲まれた土の道の上を歩き、現地の人々や動物たちとすれ違う。それは日本では体験したことのない新鮮な体験であった。

しかし、新鮮な体験である一方で、どこか懐かしいような、ほっとするようなそんな感覚を覚えた。
                             
posted by miyazawa at 13:13 | ラオス通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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東南アジア滞在通信 安らぎの国ラオス(2)

2012年10月03日

「ラオス」(ラオス人民民主共和国)は東南アジア、インドシナ半島の内陸部に位置する国である。周辺を中国、ベトナム、タイ、カンボジア、ミャンマーの5カ国に囲まれ、海に面していない。

その内陸部にひっそりと存在する様子はさながら忍者の隠れ里のようである。

実際、ラオスの国土の約70%は山岳地帯や高原であることからも、このイメージはあながち間違いではない。さらに、ラオスの国土面積は23万6千8百平方キロメートルで、おおよそ日本の本州と同じ大きさである。

それに対して総人口は約612万人、東京都の約半数ほどの人口しかない。これを見ても、この国がいかに人口が少ないかが分かる。広大な自然の中で少数の人々が暮らす、まさに秘境のような国なのだ。

この国に私が訪れ、最初に抱いた印象は「何もない所」であった。
「タイ−ラオス有効橋(クワミッタパープ)」を渡り、ラオスに入ると本当に何もない。
目の前には日本のODAによって作られたという国道13号線が一本通っているのみである。
あまりの何もなさに私はしばし呆然としたが、気を取り直してトゥクトゥクというバイクに荷台を取り付けた形の乗り物に乗り込み、街の方向へと向かった。路線バス以外ではこのトゥクトゥクがラオスでの唯一の交通手段である。

国境からトゥクトゥクで約20分程の所に「キーナイモー」という名の地域がある。
そこが私が寄宿する宿舎がある地域であった。キーナイモーという名前はこの地域に伝わる昔話に由来する。
かつてこの地域には巨大なコオロギが住みついており、田畑を荒らし、住民たちを困らせていた。そこに一人の男が現れ、この巨大コオロギを退治したのだという。あるラオスの老人がこの話を私に教えてくれた。

確かに、この地域にある寺院の境内には巨大コオロギと男が戦っている像が安置してあった。
そのキーナイモーでトゥクトゥクを降り、私は宿舎へと続く路地へ入った。宿舎は国道13号線から500メートルほど路地を入った所にある。路地は舗装されておらず、土がむき出しになっている。
キーナイモーはラオスの首都ビエンチャンの中心部からは車で15分程度の所にある。それでも、国道を外れた路地は全て土がむき出しなのだ。

その路地を進むとまずアヒルの行列が道を横切った。道端では牛やヤギが草を食べている。
私はまずこの村の動物の多さに驚いた。歩きながらふと横を見ると巨大な水牛が木につながれていたりもする。そして、道の両側には木々が茂り、粗末な作りの民家が並んでいる。その裏には緑色の田園が広がっていた。木々に囲まれた土の道の上を歩き、現地の人々や動物たちとすれ違う。それは日本では体験したことのない新鮮な体験であった。しかし、新鮮な体験である一方で、どこか懐かしいような、ほっとするようなそんな感覚を覚えた。
                             
posted by miyazawa at 12:48 | ラオス通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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メールにて投稿!

2012年06月06日

ラオスのブログがメールで出来る様になりました!
・・・出来たかな?!
posted by ラオス修練所 at 11:29 | ラオス通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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2010年9月の小沢 隆首席師範の指導内容

2010年10月14日

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という事で前回の続きです。

文章は日本武道総合格闘技連盟ブログにて掲載の『ラオス通信 9月』のものを加筆修正したものです。

「もう読んだよ」という方も、そうでない初めての方もご一読頂けたら幸いです。


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posted by ラオス修練所 at 19:47 | ラオス通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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